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東京地方裁判所 平成5年(ワ)3426号 判決 1995年12月22日

原告

国友実

右訴訟代理人弁護士

小林穣二

井上幸夫

被告

バンカース・トラスト・カンパニー(バンカース・トラスト銀行)

右日本における代表者

安岡雅之

右訴訟代理人弁護士

角山一俊

中山代志子

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、平成七年五月二一日限り三七一六万一七九三円、同年六月から毎月二一日限り一三七万八二七六円及びこれらに対する各支払期日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告就業規則(昭和五二年改正のもの。以下「就業規則」という)上の定年年齢である六〇歳に達したため、被告から定年退職とされた(以下「本件定年退職」という)被告の元従業員である原告が、原、被告間には、雇用契約締結当時、原告の定年年齢を六五歳とする旨の契約が存在したとして本件定年退職の効力を争い、被告に対し、従業員としての地位の確認及び本件定年退職後の賃金の支払い等を求めた事案である。

一  争いのない事実及び証拠により認められる前提事実

1  当事者

(一) 被告は、アメリカ合衆国ニューヨーク州法に準拠して設立された銀行であり、昭和四七年、日本においても東京に支店を開設した(以下「被告東京支店」という)。昭和四九年四月二六日から昭和五七年九月一三日までの間、被告の日本における代表者は、訴外福田龍介(以下「福田」という)であった。

(二) 原告は、昭和七年七月二六日生まれの男性であり、大学卒業後、株式会社協和銀行(以下「協和銀行」という)に入社し、昭和五〇年八月から昭和五三年五月まで被告東京支店に在籍出向して営業部の仕事に従事し、その後、昭和五四年一一月末日付けで協和銀行を退職して、同年一二月一日付けで被告に入社し、被告東京支店において就労するようになった。原告は、被告入社後営業部に配属されてアシスタントマネジャー(部長代理)となり、昭和六一年に営業部のヴァイス・プレジデント(部長待遇)にまで昇進したが、平成元年三月、人事部に配転となり、平成四年七月二六日に満六〇歳に達したことから、本件定年退職とされた。

2  就業規則の定め

就業規則には、次のような規定が設けられている。

三三条 次の各号に該当するときは職員は退職するものとする。

a 第三七条に定める定年に達したとき

三七条 職員の定年は満六〇歳とする。

三八条 前条の定年に達するも、銀行において、特に必要と認め、かつ本人の健康状態が良好なるときは、第三三条(a)の規定にかかわらず本人との勤務年限延長に関する契約により、引続き勤務を許可することがある。但し爾後契約更改は一ヶ年毎に行い最長五ヶ年を以て終了するものとする。

3  賃金支払日

被告における賃金は、各歴月の二二日から次の歴月の二一日までを単位として計算され、各歴月の二一日に従業員に対し支給される。

二  争点

1  原告が、昭和五四年一二月一日、被告に入社するに当たり、原、被告間において、原告の定年年齢を六五歳とする旨の労働契約が存在したかどうか。

2  1が認められた場合に、原告が被告から受けるべき本件定年退職後の賃金額。

三  当事者の主張

1  争点1(原告が、昭和五四年一二月一日、被告に入社するに当たり、原、被告間において、原告の定年年齢を六五歳とする旨の労働契約が存在したかどうか)について

(一) 原告

原告は、昭和五四年一一月一四日、当時の被告東京支店代表者福田との間において、原告の定年年齢を六五歳とする旨の合意をし、原告は、右合意に基づき、同年一二月一日、被告に入社したものである。右合意をした経緯及び事情は以下のとおりである。

原告は、被告東京支店に出向中、当初の貸出残高が約六〇〇億円であったのを、出向期間満了時の昭和五三年には約一二〇〇億円に倍増させる等極めて高い営業実績を上げ、被告も原告の実力を十分認識していた。しかし、出向期間が満了して原告が協和銀行に復帰してしまうと、被告東京支店の営業成績はかなり低下し、当時被告東京支店支店長であったピーター・エフ・スミスや福田は営業成績を回復させるため、原告を被告に正式に入社させようと焦り、そのため原告に対し、賃金をはじめ、福利厚生及び定年について、協和銀行等の日本の都市銀行以上の条件を提示する必要があった。ピーター・エフ・スミス及び福田は、昭和五四年一一月一四日、それぞれ原告に電話を入れて被告への入社を勧め、同日、午後六時、原告及び福田は被告東京支店において会い、被告入社についての話合いを行った。福田はその際、原告に対し、原告の当時の協和銀行における賃金より年俸で二〇〇万円以上多い賃金条件と共に「あなたが希望すれば六五歳まで働けます。就業規則は六〇歳を一応定年扱いにしているけれども、これも近いうちに改訂します」と述べて原告の定年年齢を六五歳とする旨申し入れた。被告は、従来幹部行員として採用した多くの者に六五歳定年を約束してきており、このとき原告に対しても、定年年齢を六五歳とすることを入社の条件として提示したのである。原告は、その当時、今後四ヶ月協和銀行において勤務すれば二五年勤続表彰を受けることができ、退職金及び企業年金等について有利な取扱いを受けることができる状況にあったが、右特典を受けられなくなる不利益については被告東京支店における給与面の向上及び六五歳を定年とすることで埋め合わせることができると考え、福田の右申入れを承諾することとした。そして原告は、同月一六日、福田に電話で、先の一四日における条件の下で被告に入社することを承諾し、これにより原、被告間において、原告の定年年齢を六五歳とする旨の合意が成立したものである。

(二) 被告

原、被告間において、原告の定年年齢を六五歳とする旨の労働契約は存在しない。

被告東京支店には、原告が被告に入社した時以前から六〇歳定年制が確立しており、就業規則上明記されていた。従業員の入社に際し、この確立している定年制を無視して六五歳定年を約束することはあり得ないし、被告東京支店にそのような例もない。

2  争点2(原告が被告から受けるべき本件定年退職後の賃金額)について

(一) 原告

原告が被告から受けるべき月額賃金については、本件定年退職前の三ヶ月間の月額平均賃金額である一三七万八二七六円を基準として計算するのが相当である。原告は、被告に対し、本件定年退職以降、本件口頭弁論終結時である平成七年六月九日までに支払期日が到来している月額賃金総額のうち、平成四年一一月一五日付けで被告から原告宛に送金された八三二万一三一五円(被告は、退職金であるとして送金してきたが、原告はこれを未払賃金の内金として受領することとする)を控除した残額である三七一六万一七九三円及び平成七年六月から毎月二一日限り一三七万八二七六円並びにこれらに対する各支払期日から支払済みまで年六分の割合による金員の支払いを求める権利がある。

(二) 被告

支払義務につき争う。

3  原告の主張

本件定年退職を理由とする解雇は、被告東京支店支店長であった安岡雅之(以下「安岡」という)の原告に対する個人的な逆恨みによるものであるから、権利濫用として無効である

第三当裁判所の判断

一  (証拠略)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨に前記認定事実を加えれば、以下の事実をそれぞれ認めることができる。

1  出向終了までの原、被告間の関係について

被告は、アメリカ合盤国ニューヨーク州法に準拠して設立された銀行であり、昭和四七年、被告東京支店を設置して日本における営業を開始した。原告が勤務していた協和銀行は、ニューヨーク支店開設の折り、被告から営業の手ほどきを受けたりすることにより現地における営業経験不足を補ってもらったりしていたことから、被告が東京支店を開設すると社員を出向させてその営業を助け、原告も昭和五〇年八月から被告東京支店に出向することとなった。原告は出向中、営業部のアシスタントマネージャー(部長代理)として日本企業に対する運転資金及び設備資金の融資等の営業の業務を担当し、原告を中心とした営業活動により、被告東京支店は、原告出向開始時に約六〇〇億円にすぎなかった貸出残高を出向終了時の昭和五三年五月頃には約一二〇〇億円に、また出向開始時に約六億円にすぎなかった金利収益を出向終了時には約一一億円に伸ばす等、営業成績を著しく向上させた。被告は原告のこのような貢献を評価し、出向終了時に原告に世界旅行を勧め、その費用を負担したりした。原告は、出向終了の折り福田等から慰留されたが、福田から提示された賃金の額が、原告の協和銀行におけるのと同額であったため、このときは断った。

2  原告が被告に入社し、本件定年退職とされるまでの経緯について

原告は、被告東京支店出向終了後、東京リースに出向していたが、昭和五四年一一月一四日午前中、右出向先において、当時被告東京支店支店長であったピーター・エフ・スミスから電話を受け、被告が原告の能力を非常に高く評価しているので、是非被告東京支店に復帰してほしいことや、詳しい交渉については福田と行ってほしいということを告げられた。そして、同日午後、福田からも電話が入り、是非帰ってきてほしいということを告げられた。原告及び福田は、原告の被告入社の条件等について話し合うために、同日午後六時、当時被告東京支店のあった大手町の大手町ビル一階において面談した。原告は福田に対し、原告は、今後四ヶ月協和銀行において勤務すれば二五年勤続表彰を受けることができる状況にあること、二五年勤続となると、退職金や企業年金等について有利な取扱いを受けることができることを説明し、被告への入社を昭和五五年三月まで待ってほしい旨を伝えた。これに対し福田は原告に対し、すぐに入社して欲しいと述べた上、協和銀行を退職することにより不利益を被ることのないよう、生涯給与の面で協和銀行に在職した場合を下らない待遇をするとして、当時の原告の年収よりも二〇〇万円以上多い賃金を支払うことや、住宅資金の借入金利の補助も行う旨を申し述べた(昭和五四年一一月一四日に行われた原告及び福田の右面談を、以下「本件面談」という)。原告は、当日は回答を留保し、二日後の同月一六日、福田に対し、電話で同人の右申入れを承諾した。

原告は昭和五四年一二月一日付けで、被告に正式に社員として入社し、被告東京支店営業部に配属され、アシスタントマネージャー(部長代理)に就任した。なお、原告が入社した頃、被告東京支店の貸出残高は約一〇〇〇億円に落ち込んでおり、また金利収益も大幅に落ち込んでいた。原告は、その後、昭和六一年に営業部のヴァイス・プレジデント(部長待遇)となったが、平成元年三月にはこれまでいた営業部から人事部に配転となり、平成四年七月二六日、満六〇歳に達したため、就業規則三三条a及び三七条の適用を受けて定年退職とされた。原告については、就業規則三八条に基づく勤務年限延長の契約は締結されていない。

3  原告の定年年齢に関する被告東京支店の取扱い及び原告自身の言動について

訴外先原照夫(以下「先原」という)は、昭和五九年七月、被告に入社して、被告東京支店人事部長に就任したが、前任の人事部長等から、原告の定年年齢について就業規則と異なる取扱いをするといった特別の申し送りは受けなかった。

原告は先原に対し、平成三年一月頃、六〇歳を過ぎても働きたい旨の要望を述べて同人から拒絶されたことがあったが、このときには原、被告間に六五歳を定年とする旨の合意があるということについては申し述べておらず、右合意があったということについては、平成四年に入ってから述べるようになった。また、原告は、平成四年七月二三日、先原から定年退職の手続を取るように言われてから、被告東京支店に対し、右合意が存在すること及び定年退職とすることにつき再考を求める旨の通知を行った。なお、原告は、元被告従業員である訴外内田周治を原告とし、被告を相手方とした、やはり六五歳定年が問題となった地位確認等請求事件において、昭和六二年一〇月八日頃、右原告側証人として立つことを承認していた。

4  被告の就業規則改訂の経緯等について

被告東京支店において就業規則が制定されたのは昭和四八年が最初であり、その後、残りの部数が少なくなり、また就業規則中に退職年金制度を織り込む必要が生じたことから、就業規則を改訂することとなった。改訂にあたり、従来六〇歳であった定年年齢を六五歳に引き上げることについて検討された時期があり、福田は引き上げに肯定的であった。しかしながら、従業員の定年年齢を一律に六五歳まで引き上げることは相当ではないとして採用されず、定年年齢は六〇歳(三七条)とした上、必要に応じて、従業員と被告との間で勤務年限延長の契約を一年ごとに行う(三八条)とすることで決着し、改訂された就業規則は昭和五二年中に実施された。原告は、右定年年齢引き上げについての検討が行われ、また就業規則が実施された当時は被告東京支店に出向しており、就業規則上、被告東京支店においては、定年年齢が六〇歳であること及び六〇歳を越えて就労を続ける場合には一年ごとの勤務年限延長のための契約が必要であることを知っていた。

なお、本件面談の行われた昭和五四年一一月当時の協和銀行における従業員の定年年齢は五五歳であり、協和銀行においては定年退職後は再就職の便宜がはかられ、概ね六五歳程度までは就労を継続することが可能であった。

5  被告東京支店において六〇歳を越えて就労する場合の取扱いについて

先原が人事部長に就任した昭和五九年七月一日以降、被告東京支店における従業員の定年退職について、就業規則と異なった取扱いをした例はなく、従業員が定年年齢である六〇歳を越えて就労を継続する場合には、就業規則三八条に基づく勤務年限延長手続に従って行われており、この場合、六〇歳に達したときに一旦退職し、退職金の支払いも受けるという手続がとられている。

二  争点に対する判断

1  争点1(原告が、昭和五四年一二月一日、被告に入社するに当たり、原、被告間において、原告の定年年齢を六五歳とする旨の労働契約が存在したかどうか)について

この点につき、当裁判所は結論において、右契約の存在は認められないと考えるので、順次その理由を述べることとする。

原告本人尋問の結果によれば、福田は本件面談の席上原告に対し、原告の定年年齢を六五歳とした上での雇用契約の締結を申し込んだとし、その折り福田は原告に対し「あなたが希望すれば六五歳まで働けます。現在銀行の就業規則は六〇歳を一応定年扱いにはしてるけれども、これも近いうちに改訂します」ということを述べたとする。しかしながら、仮に福田が本件面談において、原告に対し右のとおりの話をしたと仮定しても、これが、就業規則の規定の例外とたるような定年年齢を保障する趣旨で述べられたものか、あるいは、将来就業規則が改訂されて定年年齢が六五歳に引き上げられるとの見込みの下に、改訂される就業規則の内容に従い原告についてもその適用が受けられるということを述べたにすぎないものかについては、必ずしも判然としていない。また、右原告本人尋問が実施されたのは、本件面談から既に一四年以上もの長年月が経過した後であること、本件面談が行われたのは、実際には当時大手町に所在していた大手町ビルの一階であったのに、原告は原告本人尋問において、本件面談は丸の内所在の岸本ビルの二階で行われたと誤解して述べていること等からして、原告本人尋問実施時における原告の記憶の正確性についても疑問が残る。さらに、被告東京支店においては、従業員の定年年齢の引き上げについて十分検討をした上で昭和五二年に就業規則を改訂していることや、昭和五四年一一月頃に再び就業規則を改訂する動きないしその必要性があったことについては本件証拠上認められないことからすれば、本件面談において、福田が原告に対し、「近いうちに就業規則を改訂して定年年齢を引き上げる」旨の話をしたとすることについても疑問を感じざるを得ない。そうすると、右原告本人尋問の結果は措信し難く、採用することはできない。

また、既に認定したとおり、<1>原告は出向中、被告東京支店における営業成績を著しく向上させ、被告も原告の貢献を評価していたこと、<2>本件面談が行われた頃の被告東京支店の営業成績は、かなり落ち込んでおり、福田は原告の早期入社を切望していたこと、<3>本件面談当時、原告は、あと四ヶ月協和銀行での就労を続ければ二五年勤続となり、退職金や企業年金等について有利な取扱いを受けられる状況にあったことがそれぞれ認められ、これらからすれば、本件面談当時、福田が原告から入社の承諾を取り付けるためには、原告に対し、協和銀行での就労を継続することにより受ける利益を上回る有利な条件を提示する必要があったことが推認される。しかし他方において、既に認定したとおり、本件面談において、福田は原告に対し、協和銀行退職により不利益を被らないよう、生涯給与の面で協和銀行に在職した場合を下らない待遇をするとして、当時の原告の年収よりも二〇〇万円以上多い賃金額を提示し、また住宅資金の借入金利の補助も行う旨申し述べていること、本件面談の行われた昭和五四年一一月当時の協和銀行における定年年齢は五五歳であり、被告東京支店における就業規則上の定年年齢はこれより五歳も上であることが認められるのであって、これらだけでも原告にとっては相当程度有利な条件であると考えられ、これ以上に就業規則の例外となるような定年年齢まで提示する必要性が存在したとは直ちに認められない。のみならず、原告の入社後に入社して人事部長に就任した先原は、原告の定年年齢について、就業規則と異なる取扱いをするといった申し送りを全く受けていないこと、原告は、平成三年一月頃、先原に対し六〇歳を過ぎても働きたい旨要望したがこれを断られた折りに六五歳定年の合意があることについては何ら触れずに、就業規則上の定年退職年齢を迎える年である平成四年に入ってから初めて右合意の存在を先原に述べるようになっていて、六五歳定年の合意が存在したとしては不自然な言動を行っていること、被告東京支店においては、遅くとも昭和五九年七月一日以降、従業員の定年退職について、就業規則と異なった取扱いをした例はなく、従業員が六〇歳を越えて就労を継続する場合には、就業規則三八条に基づく勤務年限延長手続を経ることとされており、この場合においても、定年の六〇歳に達したときに対象従業員は一旦退職し、退職金も受領するという扱いとなっていること等の事情も認められる。

以上の事実関係に照らして考えると、福田は就業規則改訂の際定年年齢を六五歳とすることに好意的であったこと、協和銀行においては、五五歳で定年退職した後再就職の便宜を受けることにより概ね六五歳程度まで就労可能であったこと、原告は昭和六二年一〇月八日頃、訴外内田周治を原告、被告を相手方とした地位確認等請求事件において右原告側証人となることを承認していたこと、被告は訴外辻に対し過去において六五歳定年を条件とした雇用契約の申し込みをしたことがあったことが窺えないではないこと(書証略。但し、就業規則改訂前の段階)等の事情を考慮に入れても、原告主張にかかるような六五歳を定年とする旨の合意が原、被告間において成立していたことを推認することはできず、他に右合意の成立を認めるに足りる証拠はない。

2  結論

そうすると、原告については、被告との間において原告の定年年齢を六五歳とする旨の合意が認められない以上、就業規則三三条a及び三七条の適用を受け、平成四年七月二六日六〇歳に達したことにより、同日被告を定年退職したことが認められる。

なお、原告は、本件定年退職を理由とする解雇は、安岡の原告に対する個人的な逆恨みによるものであり、権利濫用として無効である旨主張するが、就業規則による定年退職の効果は、原告の右主張事実の有無に影響されるものではなく、右主張が本件の結論を左右するものでないことは明白であるため、この点について判断する必要はない。

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(裁判官 合田智子)

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